ゲーム年表自分史

人生の変遷×ゲーム

本当に時を超えたゼルダの伝説時のオカリナ

ゼルダの伝説時のオカリナ

こちらの約束された神ゲーをご存じだろうか。知らない方のために紹介させてもらう。1996年に発売されたこちらのゲームは、日本が誇る名作「ゼルダの伝説シリーズ」第五作目にして初の3Dアクションアドベンチャーである。今となっては当然になった3Dゲームを確立させた立役者である。

自分の体験だと理解するところから始まる

物語は幼い少年(主人公)が小さな森の中の小さな家で目覚めることから始まる。この村の全容はこんな感じ。

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いや狭い。この人数で町内会を運営しようと思っても会費すら集まらない。そして部屋を出た主人公はこの村を散策するのだが、

どれだけ探してもなぜか大人が居ない。一体この村にはどんな秘密があるのだろう、、と好奇心から考察が進む。

そうして疑問を考察しながら散策すると更に新しい事実に気付く。魔物(敵)に一切会わない。しかも優しいBGM。ここは安全な場所なんだと脳が理解する。

村の構造を把握する頃にはこれら一連のマインドセットを終えることとなる。

 

 ここでこの主人公の心理状態や環境は、現実でゲームをしている我々と非常によく結びついているという事に気付く。

「家という小さな空間の中の小さなブラウン管から始まるゲーム」

「未知のゲームに対しパッケージやCMからの考察で思いを馳せる」

「外敵の居ない安全な空間である。」

村を散策して理解した主人公の状況が、ゲームをする自分の状況と重なっているために、驚くほどスムーズにゲームの中に入り込み、これから始まるのは他でもない自分の物語なのだと理解することができるのだ。

ブラウン管から世界へ

しかし小さな村に住む小さな少年はいつまでも安全な村にとどまることはしない。村の長であるデクの樹さまから、主人公たちの住むハイラルという世界がピンチであること。それを救えるのが自分だけであることを告げられ、世界を救うために生まれて初めて小さな村を後にすることを誓うのだった。

 

村を後にする主人公を見送る幼なじみのサリアが切ない。というか最後までサリアが切ない。誰かサリアが幸せになる世界線でリメイクしてくれ。サリアを連れてハイラル全部を敵に回して滅びを迎える話とか大歓迎です

 

ひとたび村を出ると眼下に広がるのはこれでもかと言わんばかりの広大なフィールド。明らかに何かありそうな場所。壮大なBGM。と、一気に高揚感が爆発する。脳汁がでるどころの騒ぎではない。頭の中でビッグバンが起きて確実に銀河が増えた。

そして少年は広大なハイラルの世界で様々な人と出会い、世界に関わり、幼い体で出来うる限りの全てをもってして世界を救うために奮迅する。

少年はいずれ大人になる生き物だ

少年は必ず大人になる。大人になることを迫られる。これは本当絶対。ずっと少年ではいられない。女の子??女の子は永遠でしょう。永遠に17歳っていっても許されるしイチゴの国からイチゴの馬車に乗ってきてても許されてたから女の子は許される。少年は無理。理由は人それぞれでも少年はいずれ大人になります。もちろんこのゲームの主人公も例外ではない。大人になるタイミングもそんなに珍しいものではない。

 

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ご覧の通り剣(マスターソード)を抜いたら大人になる。ね?簡単でしょ?剣を手にしなきゃいけないっていう理由は僕らとそんなに大差ないです。

このゲームが素晴らしい所以は「時間という概念を取り入れている」という要素が大きく影響していると思う。朝→昼→夜という時間経過と、各時間にしか起こらないイベントなど、これだけでも同じエリアを何度でも遊ぶ楽しさがあるのにも関わらず

は?時を超える??何回カカリコ村行かせんの??いつ行っても怪しすぎなんですけどあの村。天才ですか??

そしてこのゲームが少年の頃の僕や少年だった僕をいまだに虜にする理由がまだある。

されど時に我々は少年に戻る

少年に戻りてえ。授業が終わると廊下に飛び出して空きペットボトルを抱えてデビルバットゴーストやってた少年に戻りてえ。ツイストサーブは打てないという世界の真実に気付く前に戻りてえ。いくらノスタルジーになっても補正がかかるだけで戻れはしない。ツイストサーブを一緒に練習した純ちゃんは、パチンコで勝ったお金で回らない寿司を奢ってくれるようになった。少年じゃない。戻れはしないし戻っちゃいけない。そんな我々の永遠の葛藤をいともたやすく主人公は超えていく。

 

youtu.be

「剣抜いて大人になったんだから剣戻したら少年なるっしょwww質量保存の法則習いましたぁ??ww」と言わんばかりの勢いでとんでもないチートをやってのける。

このゲーム少年時代に使える道具と大人時代に使える道具が違ったり(少年時代はパチンコが使えるが大人時代にはそれが使えず弓矢を打てるようになっているなど)少年時代陽気だった人が大人時代には闇堕ちしている等、大人になると出来るようになる事が増える一方、少年時代にしか出来ない事がたくさん用意されている。現実の我々は過去を清算することができないが、この主人公は大人時代に行き詰る度に時間を遡り少年にしかで出来ないことを全て完了出来る。この体験こそが最大の魅力といって過言ではないだろう。

圧倒的なトラウマを植え付けられたゲームである

と、ここまでこのゲームの素晴らしさを書き連ねてきたが、このゲームは大人になると少年の頃には想像もしなかった恐怖が待っているぞという教訓をも与えてくr、、、

いや良い風に書こうと思ったけれど普通にトラウマです。克服に十年はかかった。

問題のシーンはこちら。

 

www.youtube.com

時を超えるための剣(マスターソード)が祀られている時の神殿とよばれる神殿があるハイラル城下町です。今見てもらったのは少年時代の風景。では少年時代から大人時代に飛んでみましょう!!

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いや怖くなりすぎだろなんだこの地獄絵図カップルどこ行った は???

 

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こちら皆のトラウマだと勝手に思い込んでいる我らがリーデットさん。恐ろしいBGMに加え体操座りしているリーデットさん。怖すぎる。でも動かないみたいだしなるべく見ないようにそっと行こう、、、、、、、、、、、、、、、、、、と思っても襲われる。しかも目が合ったらなぜか動かせない。

ええもう半泣きっていうかすぐ少年時代に戻って最初の森に帰りましたよね。世界を救う??いや知らんがな。大人になる前頑張ったよな??大人になって一歩外出たら世界滅んでんだけどはい??当時プレイしてた僕五歳にもなってなかったと思うんですけど。

完全なトラウマを植え付けられた少年時代だった。

そしてこのゲームは時を超え、少年を大人に変える

 

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2011年。3DSにて完全リメイクを果たす。映像に手を加えられ、当時の感動はそのままにより洗練された表現により現世によみがえった。もちろん買った。これをするために3DSを買った。

(最初期型の3DSを買ったので30000円の定価だったのだが、この翌週に15000円まで定価が値下げされた。この時も頭の中でビッグバンが起きた)

ここで思った。3DSで綺麗に表現されたリーデットさんにはあの頃のポリゴンによる不気味さは無い。何も怖くないリーデットに会う事は逃げなのではないか。そして私は3DS版をプレイする前に64版を引っ張り出してリーデットと向きあい、彼を超え、ハイラルを救い胸を張って3DS版をプレイすることができた。このゲームは時を超え、少年だった僕を成長させてくれたのだ。

隅から隅までが遊び場なゲーム

今回紹介しなかったところにも楽しい要素がてんこ盛りである。面白くない隙間を探す方が大変である。ただ移動しているだけでも素晴らしいBGMが我々を飽きさせることをしない。個性豊か過ぎる登場人物たち。ここに何か隠されているかもしれないと探りながら回るワクワク。バグや行動を縛って最速でクリアするという(えげつない)現実の競技にまで派生し我々を楽しませてくれる。物語が終わるころには言葉にならない気持ちに包まれる。

記憶に残るゲームとは何か

今回ゲーム年表という記事を書き残そうと決意した第一回目であるので、ゲームタイトルから一層上について書き、終わりにしたいと思う。

幼いころからゲームをプレイしてきたが記憶に残るゲームとは何だろうか。きっとそれは単にゲームのクオリティだけによるものではないと思う。小さいころ新しいゲームをプレイするためには、一年で1、2回ほどしかない貴重なイベントを待ち買い与えられるか、友達の家にいって交代で遊ばせてもらうなどしかなかった。そのため一つ一つのゲームを、一回一回のプレイを噛みしめるように何度も遊んでいた。自分の好きなタイミングで好きなゲームを買えるようになった今でももちろん記憶に残っていくだろうゲームに出会うことは出来た。しかし、あの頃のように一つ一つの行動を、出来事を大切には出来ていない。自分の中に新しい世界が広がったような、新しい体験をくぐったようなあの閃光に出会う事は少なくなった。ゲームを手に入れる行為が貴重という環境も、自分の中でゲームタイトルが生きていくうえで必要な要素だったのだ。

 

自分の力ではどこにも行けず、何者にもなれず、しかしこれからなんにでもなれるという希望に満ちていた自分にとってゲームの中で体験していく出来事は「これから実際にあるかもしれない出来事」として変換されていたのだろう。

行こうと思えば自分の力でどこへでも行け、何者かになろうとしている今。ゲームをするときだけでもマスターソードを戻すことが必要なのかもしれない。